コンクール&フェスタ2023をもっと楽しむ!
そこがききたい!室内楽コンクールのナゾ!
渡辺 和(音楽ジャーナリスト)
広報誌「奏」59号(2023年4月発行)掲載
3年に一度の大阪国際室内楽コンクール&フェスタがいよいよやってくる。
フェスタといえば、「みんなが審査員、素晴らしいと感じさせた方が勝ち!」と、なんとも判りやすい。
でも、もうひとつの柱のコンクールは、いささか敷居が高いかも。
室内楽は地味で難しそうだし、曲も《死と乙女》くらいしか知らないし、どっちが良いかなんてまるで格付けチェックだし…。
そんな「コンクールはちょっと…」という皆様の不安や、他人には訊けない素朴な疑問を、世界中の室内楽コンクールを眺めること四半世紀、コンクール専門委員も務める音楽ジャーナリスト渡辺和さんにぶつけてみよう!
ステージで音楽家が演奏し客席で聴衆が聴くイベントですから、コンクールも普通のコンサートと変わりません。いつもの振る舞い方をすれば、基本はOKです。
ただ、大きな違いがひとつあります。フェスタと違い、コンクール参加者にとって音楽を聴いて貰う最も大事な相手は審査員だ、という事実。私たちだって客じゃないか、とおっしゃられたい気持ちは分かります。ですが、コンクールには「お客さん」は存在しないのです。客席の聴衆も含め、全員が「参加者」。ホールの入口で払うチケット代は、コンクールというイベントへの参加費だと思ってください。
会場に流れる空気は、コンクールによって様々です。世界からマニアックな聴衆が集まるバンフ国際弦楽四重奏コンクール(加)のどこか冷静な高揚感もあれば、国際大会が大好きなメルボルン国際室内楽コンクール(豪)のスポーツ会場のようなストレートな熱狂もあります。拍手やスタンディングオベーションを禁止する規定は、大阪にはありません。ですから、会場の空気は皆さんが作って下さるものなのです。針が落ちても聞こえる緊張感が支配するのか、熱い拍手が飛び交う祭りなのか、それは大阪の音楽ファンの皆さん次第。
グループで参加する室内楽コンクールならではの疑問ですね。正直、案外面倒な問題です。なにしろ参加者が有するパスポートによって、日本入国の事務手続きは様々。プロ音楽家が多数参加するフェスタは、書類仕事だけで一苦労だそうな。
現状、団体の国籍表記は各コンクールの判断に任され、国際コンクール世界連盟にも規約があるわけではありません。例えば、パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクール(伊)やミュンヘンARD国際音楽コンクール弦楽四重奏部門(独)、ウィグモアホール国際弦楽四重奏コンクール(英)の大会では、参加者個々の出身国と現在拠点とする都市の名前が併記され、「どこの国の団体」とは明記していませんね。大阪の対応を事務局に尋ねたところ、「原則、拠点としている国にしています」とのこと。なるほど、どこから大阪に来るかで決めるわけですね。現実的な対応でしょう。確かに、東京クヮルテットやタカーチ・クァルテットはアメリカの団体になるわけだし。
まず忘れていただきたくないのは、「室内楽コンクールには天才は現れない」ということ。個々人の才能や個性は隠せないとしても、アンサンブルとしての力量は練習の時間とやり方に比例します。天才弦楽器奏者が4人集まりいきなり弾いても、弦楽四重奏の名演は絶対に不可能。ピアノ三重奏は、またちょっと微妙な違いがあるのですが…
最高の演奏をしようと鍛えてきたアンサンブルが、ありったけの力で奏でる音楽を聴きたいならば、どのステージのどの演奏でも大丈夫です。大阪のようなレベルの大会では、力を抜いた演奏はやれません。独奏コンクールで優勝候補のプレイヤーがときおりやる「次のステージのために余力を残す」などという芸当は、グループ大会では不可能です。
いろいろな演奏のキャラクターを楽しみたいなら、少し時間を費やすべきでしょう。なにしろ、ステージへの入り方、座り方、音合わせの仕方、最初の音が出る前の空気感、なにからなにまで違います。そして、全ての参加者を追って聴いていくと、人間ドラマが嫌でも見えてきます。コンクールを描く劇映画のような感動はステージ上だけでは判らないかもしれませんが、落ちて泣くヴァイオリニスト、平気そうなチェリスト、憮然としているピアニスト、そんないろいろな姿を目の前で見るだけでも、翌日からの音楽の聴こえ方が違ってくるはず。
ちなみに大阪のチケットは、1団体聴いても複数団体聴いても、お値段は変わりません。ひとまず騙されたと思って、半日くらい座ってみてはいかが?
安定した音楽をたくさん聴きたければ1次予選か2次予選。どんな個性のグループがいるか知りたければ3次予選。人間ドラマと力演を現場で体験したければファイナル、というところでしょうか。
コンクールが一次審査、二次審査、最終審査、と審査を繰り返すのは、芸術の評価には様々な物差しがあるからです。
一般的に言って、最初のステージは「ちゃんと弾けるか」をチェックします。大阪のような世界最高水準の大会の場合、このレベルをクリアーする地力は予備審査で確認されています。つまり、どの団体も上手、という。ですが、実際にステージの上で上手さがきちんと再現出来るかは判らない。それが審査の目的です。二次審査も、性格の違う楽譜で同様の作業が繰り返されます。
セミファイナルになってくると、グループの独自のやり方や考え方が評価の視野に入ってきますね。前回の大阪では、自分らの個性をアピールするプログラムを組む能力も問われていました。ツウは、コンクールの性格や水準はセミファイナルで判る、ともおっしゃいます。
音楽マネージメントの世界では、アンサンブルのコンクールならファイナルに到達すれば「合格」。あとは、当日の出来と、審査員との相性次第です。ちなみに口の悪いジャーナリストの間では、「アンサンブル・コンクールの本選は負け比べ」という皮肉な諺があります。独奏のコンクールでは絶対にない、室内楽大会の特色ですね。
若いグループとすれば、どんなに地力と経験があろうが、本選に求められる要求の高さは猛烈なもの。でも、どんなに下馬評が高かろうが確実にファイナルまで来る保証はありませんから、1次や2次予選の演目に練習時間が偏るのは仕方ありません。その結果、ステージが進むに従い、アンサンブルの精度が落ちるのは必然なのです。
かくてファイナルステージは、プロとしてギリギリでどこまでやれるかの危機管理と度胸を試される場となります。結果発表の講評で審査委員長が「レベルが高いコンクールだった」とニコニコとおっしゃったなら、ファイナルまでの全体的な技術水準が安定していた、という意味と思って間違いではないです。